会長挨拶
  

      12 同窓会会長 岩本 滋昌 (20回生1968年卒)

 令和3年の同窓会総会におきまして会長就任を承りました岩本滋昌でございます。昭和43年卒業、20回生です。
 これまで立派な歴代会長が同窓会の為にご活躍頂きました。11代目の会長を務められました井島前会長は、これまでに無い現在の組織を造られました。組織を活発化させ、多くの同窓生が総会に集まって頂ける仕掛けを造られました。令和元年~2年はコロナ禍の為に致し方ありませんが、最近は200名を超える卒業生に参加して頂いております。井島前会長にご功績に改めて敬意を表しますと共に、深謝申し上げます。

 私は、昭和59年から、ずっと同窓会の事務局におりました。この機会に、附属中学校について少しお話します。
⑴ 昭和の終わりぐらいだったでしょうか、行政改革の流れで、一時期全国の教育大学の附属小中学校の統廃合の議論がありました。福岡県には、福岡・小倉・久留米と三校ありますので、危なかったのです。存亡の危機でした。その時、同窓生の山崎拓先輩と太田誠一先輩のご努力があり、お陰様で現在もこうして三校が存続出来ております。
⑵ 現在の附属中学校には、私達の時代にはありませんでした「特別支援学級」が昭和48年に開設され、各学年の4組として生徒達が学んでいます。入学式から卒業式迄、体育祭・文化発表会等、全ての行事に全員の生徒達が助け合いながら、行事に参加しています。全ての生徒達にとって、素晴らしい事だと考えます。

 私はまた、7~8年ほど前から附属中学校の評議員を仰せつかっております。年に2度、学校に伺い授業参観をさせて頂き、校長先生ご出席のもとで、学校の教育方針や現状のご説明を伺い、様々な協議をさせて頂いております。
 皆さんは、附属中学校に「我 日本の大樹とならん」という、中学生に大きな志を持たせてくれる言葉があったのを覚えていらっしゃると思います。私は、文字通りの大樹にはなれませんでしたが、同級生の仲間に聞きますと、殆ど全員がこの言葉を胸に高校、大学、社会に進みました。
 私達の先輩の時代に、生徒会が自分たちのスローガンとして制定されました。
 私が評議員に任命されました時には、この言葉が残念ながら校内で埋もれておりましたので、評議員会の席で、ずっと訴え続けさせて頂きました。すると、令和元年から、全ての教室の黒板の上に、額に入れて掲げられました。学校のご理解、ご配慮に感謝申し上げます。  
 勿論、今ご紹介させて頂きました4組の教室の黒板の上にも掲げられています。生徒達は、この言葉を毎日・毎時間見ながら、勉強しています。
 参加させて頂きました卒業式の答辞の中にも、この言葉が良く引用されています。
 私は、こういう守らなければならない伝統を大事にしながら、また時代に合わせ変えても本質が変わらない事に挑戦しながら、発展していく附属中学校の卒業生であることに誇りを持っています。
 私は、卒業生の皆様の縦と横の絆を深めながら、また母校の応援団として同窓会を発展させる一助になれますように、これからも務めさせて頂きます。今までと変わらぬ皆様のご支援・ご協力を宜しくお願い申し上げます。



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